2月 14

「下山の思想」の著者五木寛之は、この本を誰の為に何故書いたのだろうか?

この本の感想は、この言につきる。

そしてわからない。

まず「下山」という言葉に込めた意味が今ひとつ理解できない。

著者の世代は、終戦から経済発展という山を登っていき、そして今、その山を下山するということのようだ。

下山した先には、どんな世界が待っているのか?それは、この世代が懐かしむ世界でもいいんじゃないのか?ということが訥々と描かれている。

しかし、ちょっと待て!

1970年代以降に生まれた世代は、それ以前の世代が登ったであろう山を登っていない。登っていない山は、下山なんて出来ない。この本の中では、今生きるすべての日本国民が「下山」を意識していかねばならないような文脈で描かれているところが気に入らない。

通常、山に登る時は、出発点と帰着点は同じにするだろう。しかし、社会はそうではない。登山も登り始めた地点の反対側へ降りることもあるだろう。社会の場合は、山の反対側へ降りることが普通だろう。

それをあたかも昔懐かしの時代(山に登る前の時代)へと戻っていくという論旨はいかがなものか。

彼らの世代は「大量消費の貨幣経済」という山を登ったに過ぎない。これからの時代を生きていく日本の人々は、違う山を見つけ、登っていくことになるのではないだろうか。

そう思わなければ、「大量消費の貨幣経済」を登っていない人たちは、登ってもいない山から下りろだの、ノスタルジックな世界が良いなどと言われても、実体験がないのでどうしようもない。

ならば、別の山を見つけて登った方が、精神衛生上も良いと思うのだが。

あまり、お勧め出来る本ではないかもしれない。

下山の思想 (幻冬舎新書) 下山の思想 (幻冬舎新書)
五木 寛之

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