昨日この記事を読んだ方は、写真とコメント内容が合致していなくて訳がわからなかったと思います。疲れ果てて半分眠りながらブログのエントリーを書いていた為です。という訳で内容をちゃんとしました。(2006年9月3日 20:30)
:finger:
今日もぶらり旅だ。いつもと違うのは、移動手段が自転車という事だ。今朝起きたら天気がいいので、自転車で何処かに行きたいという事で走りはじめたのだ。走り始めて、そうだ!観音崎へ行こうという事で今日の目的地が決定である。
今日は、風が涼しくてとっても気持ちいいのだ。快調にペダルを漕いで気がつけば観音崎まであと16km。
横須賀に到着。少々疲れた事と喉の渇きを感じてたので16号線沿いに海の見える公園(ヴェルニー公園)を見つけてしばし休憩。
ヴェルニー公園から見える護衛艦(たぶん)軍艦とかは詳しくない。横須賀と言えば、やっぱり軍の街を改めて認識した。アメリカ海軍や海上自衛隊の施設が沢山ある。
海上自衛隊の潜水艦(だと思う)
ヴェルニー公園を後にして、観音崎へ出発したのだが、ここで三笠記念公園なるものを発見。何の公園かと疑問に思ったので、ちょっと立ち寄ってみた。軍艦三笠の記念公園だった。軍艦「みかさ」の由来はパンフレットによると
日露戦争は、ロシアの極東進出によって存亡の危機に立たされた我が国が、心身の限りを尽くして戦った防衛戦であり、東郷平八郎司令長官が率いる我が連合艦隊がバルチック艦隊を対馬沖に迎撃して圧倒的な勝利を長また日本海海戦により戦争は終局に向かい、ポーツマス条約が締結されて両国の講和が成立しました。「三笠」は最新駅の千巻であり、東郷指令長官が乗艦指揮する旗艦として日本海海戦において常に連合艦隊の先頭に立ち、敵艦の集中的な砲火を浴びならら戦い抜き。歴史的な大勝利に大きく貢献しました。大正15年、このように栄光の歴史を持つ「三笠」を記念艦として保存することになり、難工事を克服して現在の場所に固定され、以来民族の誇りの象徴として親しまれています。
ちょっと待て!だ。少々歴史を美化し過ぎている事と民族の誇りの象徴などと言うのは間違っているように思う。
操舵室横からの光景。主砲がでかいのが印象的だな。
三笠記念公園を出発。12時も過ぎたのでランチを食べる事に。歩道をチンタラ走っていると、何処かで見た事がある食堂を発見。以前漁港にある食堂をWebで調べた事があるのだが、その時に見つけた食堂だ。名前は覚えていなかったが、外見の写真を覚えていた。そこで早速ここでランチにする事に。
メニューには刺身定食をはじめとした定食やどんぶり物各種だ。そして今日は海鮮丼を食べる事にした。金目鯛、しめ鯖あと2つが乗っていて、これに味噌汁が付いて850円だ。量はそれ程もでなかったが、魚の鮮度は良い。
やっとの思いで観音崎へ到着だ。この写真、ちょっと夏の孤島の風景って感じがしないでもない。良く映画とかで、高校生や中学生が夏休みに孤島へ行って、いろんな事を経験するみたいな感じだな。「経験」という言葉が「ひと夏の経験」を想像させて、ちょっと艶かしい気がしないでもないが。
観音崎に到着する少し前に、足の付け根の内側に多少の疲れというか、痛みというかを感じ始めた。家から観音崎まで約35km。まあ、それぐらい走れば足の痛みも感じのも無理はない。帰路は、のんびり帰ってきた。というより、足の痛みと疲労感で何度も休憩をしながらの帰宅となった。
ホトホト疲れたので途中にあった横浜ベイサイドマリーナで休憩。初めてだが、結構いいところだ。豪華なクルーザーが停泊しているけど、一生に一度でいいので所有してみたいものだ。
そんな横浜ベイサイドマリーナの mont-bell club で サイクールランバーバック(ウエストバック)を発見。以前から欲しいと思っていたのでラッキーという事で購入。本が一冊入りそうなサイズでちょうど良い。
とまあ、今日は観音崎へのサイクリングは往復約70kmちょっと頑張りすぎの気がしないでもない。
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