もう少しで、ブログの更新をするのを忘れるところだった。。。少々、真剣に書いたら長文になってしまった。。。
ここから本題!
むかし読んだ本は、たまに読みたくなるときがある。
久々に読み返したいと思った本は「神様のカルテ2」だ。何故か「神様のカルテ」よりも「神様のカルテ2」の方が印象が良い。
さて、家のどっかにあるだろうと思い探し始めたのだが、どれだけ探しても見当たらない。。。どうやら、ブックオフに売ったようだ。
仕方がないので、ブックオフで再度買い直すか!と決断。
そんな訳で、どうせブックオフに行くなら読み終わった本をもってブックオフへと向かった。
まずは、本の販売。精算時に必要な身分証明書を忘れ、代金を受け取れず。うぉー!なんと!
そして、目当ての「神様のカルテ2」を探すと、在庫がないと。えぇ〜!
無いと言われると俄然読みたくなる。新しく本屋で購入するか?
それは、流石に勿体ない。ということで、欲求不満のまま帰宅。
本は次から次へと買って読むので、すべての本を置いておくわけにはいかない。もっと金持ちになって、本を置くだけのスペースを確保すればいいじゃん!という話もあるが、なかなかそこまではいかない。
これまでも、さんざん本を売ってきたが、もう一度読みたい本が家になかったことはなかった。何かの判断を間違ったに違いない。
そこで、今回のお話は、読み終わった本を売るか、売らないかの判断はどうしているのか?ってことの整理をしてみた。
まず、現在、家の本棚にある(残っている)本の分類は
- コンピュータ関連の技術専門書
- ビジネス関連の書籍
- 科学一般関連の書籍
- 気象・天気関連の書籍
- 歴史関連の専門書
- 哲学関連の書籍
- 旅関連の雑誌・書籍
- ファンになった作家の小説
- 感動が大きかった小説
- 語学関連の書籍
- 写真・カメラ関連の書籍
- 料理関連の書籍
- 航空関係の技術書籍
だいたい、こんな感じに分類される。こうしてみると、結構な種類の本が在庫されいる。
これで趣味や指向性がだいたいわかるって話もあるな。例えば、政治関連や法律関連の本はない。いわゆる興味がないということになる。
それぞれの分類の中で、残しておく本と売ってしまう本の取捨選択があるので、ひとつひとつの特徴をみてみたい。
コンピュータ関連の技術専門書
- 知識を習得する為に購入
- この分類の本が一番多い。この分野で仕事していたので当たり前と言えば当たり前
- 参考書的に残している場合が多い
- 本に書かれている内容の全体像の理解はしているつもり
ビジネス関連の書籍
- 知識を習得する為に購入
- 当面の間、まだ役にたつであろうと思われることが書かれてると思っている本は残してある
- 参考書的に残してある本もある
- 人間の心理など普遍的な内容について書かれている本は残してある
- 本に書かれている内容の全体像は理解していない場合もある
感動が大きかった小説
- ほとんどの本を処分(売っている)
- とてつもなく感動して涙した本のみ残っている
その他の分類
- 基本的に個人的な趣味や一般教養として読んでいる分野の本
- 趣味が飽きたら売ると思う
- ファンになった作家も、将来的に飽きたら売るかもしれないが、現状好きなので置いてある
- 一般教養的な本は、なるべく普遍的な本は残すようにしている
仕事関係以外でもっとも多くの時間を割いている分野と言えば「小説」だろう。この小説だけで年間50冊ぐらいにはなる。もっとたくさん読んでいる人もいるので、冊数としてはそんなに多くはないのだが、それでも体積的には結構な量になる。まあ、一山ぐらいの量になる。だいたいの本は、処分(ブックオフに売っている)している分野だ。
上記の内容をまとめると、売らない(残す)本を判断するための基準としては
- 役に立つであろうと思われる本
- 仕事関係で参考書として使える本
- 感動が大きかった本
- 将来的に普遍だと思えることが書いてあった本
の4つぐらいにまとめられるだろう。。
それぞれをまた、上記の4つの角度から考察してみたい。
役に立つであろうと思われる本
役にたった本はいくつもある。役にたった本のすべてを家に置いてあるのか?というとそうでもない。
今後も役立つであろうと考えたということは、未来においての役立つ可能性があると判断している。
そもそも、知識を得るという考えの元に本を読んだ場合が多いのだが、本を読んで得た知識を身につけて、頭と体で覚えてしまえば、特に家に置いておく必要はないということになる。
ということは、ためになったけど、まだ、得た知識が頭と体にしみこんでいないというものは、再度読み返す可能性があるということになる。
この一見、ためになった本というのは、実はまだ、本に投資した金額を回収出来ていない証拠となる。こう考えてみると、この、一見ためになった気になっていて、まだ、頭と体にしみこんでない知識を与える本は、さっさと知識を身につけて処分しないとならないことになる。
仕事関係で参考書として使える本
知識を得る為に読んだ本のすべてを記憶出来る訳ではないので、参考書的に本に書いてある知識体系の全体像としては理解しても、詳細部分は後から見直すことも可能性もある。
また、参考書としての時代のよって古くなるような事が書いてある本、例えば僕の関連だとコンピュータ関連の専門書は、技術系の本が該当するのだが、その時代でのノウハウ的な本は処分可能だろう。
感動が大きかった本
いろいろな本を読んで感動をしてきたが、じゃあ、すべての感動した本を売らずに家に置いてあるのか?というとそうでもない。
では、今までに感動した本で、売った本と売らなかった本の違いは何か?ということになる。
もう少し具体的に考えてみたい。
この分類で残っている本は
- 風が強く吹いている
- 沈まぬ太陽
などなど、ここに分類される本は少ない。なぜなら、感動した本の作家は基本的にファンになってしまうので、そのまま、別の分類「ファンになった作家の小説」に入ってしまうからだ。
山崎豊子さんの本は「不毛地帯」などを読んだりしたが、僕の涙腺に引っかかる本は「沈まぬ太陽」が一番だった。
三浦しをんさんの本は、まだ「風が強く吹いている」しか読んでいない。これから他の本を読んで「ファンになった作家の小説」になるかもしれない。
将来的に普遍だと思えることが書いてあった本
この分類は、特段説明の必要はないだろう。哲学的な本だったり、小説でも人間の本質的な問題について書かれた本はすべて残してある。
売らない(残す)本の条件のまとめ
- 書かれていることの全体像を理解していない
- 書かれている内容に関連すること(主に仕事だが)を、今後も継続する可能性があり、かつ、今後、詳細部分を参考書的に参照したい
- 感動が大きかった本、かつ、同じ作家の本を読んでいない本
- ファンになった作家の本
- 今、趣味である本
- 将来的に普遍だと思えることが書いてあった本
最後に、最初に書いた「神様のカルテ2」は「感動が大きかった本」に分類したはずの本なのだが、何故か本棚にない。
ん〜、間違って処分(売って)してしまったに違いない。。。
悲しい。。。
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